気まぐれ日記 05年8月
05年7月はここ
8月1日(月)「サラリーマン作家の悲哀・・・の風さん」
会社の仕事は趣味である。
そうは言っても大きな会議に対しては、それなりに準備しなければならない。私の勤務先は連結で2兆円を超える売り上げがある。大きな会社なのだ(むろん私の力ではない)。年に数回の社長報告が、今日あった。いちおうリーダーは私なので、報告の骨子は私が考える。骨子はフィクションではない。フィクションは苦手だ。フィクションが得意なら、とっくに一流の小説家になっているだろう(笑)。
これが喉に刺さった小骨のように心に引っ掛かっていて、最近は執筆が停滞していた。
午後一番の報告会が終わったら、半日有休にして整形外科に行こうと思っていた。運動不足も響いて頚椎症が悪化していたからだ。カバンの中には保険証と診察券も入っている。できれば、ずーっとご無沙汰している筋トレにも(月曜日は体育館はお休み)。
報告は役不足……じゃなかった力不足を痛感した。リーダー失格だな。前途は多難である。
さて、整形外科と筋トレ。……ダメだった。行けなかった。
会社の夏期連休は、私のようなサラリーマン作家にとって書き入れ時である。はたして、それまでに執筆中の原稿がラストまで行けるか。それが問題である。
8月5日(金)「どこまで続く悲哀の日記・・・の風さん」
連日36度以上の猛暑が続いている。
明日から夏期連休である。とうとう執筆ははかどらないまま、夏期連休前日がやってきてしまった。社長報告は終わったのに、毎日、会社の仕事は多忙で、帰宅すると疲れてもう何もする気になれなかった。仕方なく、ネット販売でパソコンの動作が速くなるソフトを買ったりして遊んでいた。疲れていても遊ぶことになると何とか体力が続く。仕事も小説も甘い作業ではない。
今朝は少し寝坊してしまったので、「ええい、いっそ有休にしてしまおうか」と思ったが、会社に心残りのことがたくさんあることに気付いて断念、とりあえず遅刻して出社した。
その心残りのことを半日でやり終えてしまおうと考えていたのだが、やはり、また甘かった。
うちの職場の今夜の夜勤と明日の休出をどうするか、それが決められない緊急事態が発生していたのである(それじゃ、帰れるわけがないっす)。
結局、それが決まったのが夕方の6時過ぎで、もちろん会社に私はいたから、半日有休はおろか、整形外科も筋トレもまた行けなかった。また行けなかったというのは、つまり、月曜からずっと行けなかったのである。もっとも月曜日は筋トレは休日だったが。
8月6日(土)「鳴海風、小説家に戻るの巻」
猛暑の中、夏期連休に突入した。
会社に振り回された昨日までだが、これからは自分のスケジュールである。15日の新鷹会前後のスケジュールが未確定だったが、今日、やっと決めた。新幹線やホテルの予約を調整した。15日は国会図書館へも行く。今度の資料複写で、いちおう一段落するつもり。調べるべき資料も整理した。
実は、大名時計博物館の見学も狙っていたのだが、な、なんと、7月から9月いっぱいまで夏休みで休館だった(涙)。出版に間に合うかどうか分からないが、10月に入ったらすぐ行こうと思う。おっと、その前に、京都や大阪へも行きたいところがある。
久しぶりの執筆ということで、勘を取り戻すのに少々手間取った。
実は、今日は地元の町内会の夏祭りで、昨年はずっと準備に追われていた。夏祭り当日も、朝から大変だった。今年は、新年度の役員を助けるのが前年度の役員の務めなのだが、他人を助ける前に自分を助けてもらわなければならない状態がずっと続いていた。それで、今年は「ごめんなさい」である。ちなみに、昨年度の役員報酬はまだもらえていない。貢献度が低く、もらえる権利はないのかも(涙)。
夏祭り、ワイフと次女は参加した。
他人に迷惑をかけながら、何とか16枚書き上げることができた。
8月7日(日)「パソコン内の整理整頓も忘れない風さんの巻」
毎日暑い。
しかし、今日は頑張ったぞ。20枚書いて、通算380枚になった。内容的には予定より17日遅れではあるが、このペースなら遅れをいくらか取り戻せそうだ。
就寝前にパソコンのデフラグやエラーチェックをやった。
8月8日(月)「執筆に専念・・・の風さん」
昨夜のパソコン内の整理が功を奏したのか、今日はパソコンがすいすい動作する。こうなると気分よく執筆に励むことができる。
今日は、22枚書けた。通算で402枚である。いよいよゴールが見えてきた・・・じゃなかった、とりあえずの最終章のおしまいが見えてきた。そこから、もう一度最初の部分に戻って、全体の調整をしながら第一稿を書くのだ。
寝る前に飲んだワインがうまかった。
8月9日(火)「施餓鬼・執筆・筋トレ・・・の風さん」
今日も夏らしい空だった。少し寝坊したが9時過ぎに起きた。今日は施餓鬼である。
盂蘭盆会とともに行われる行事として定着してきているらしい。8月7日が立秋だったので、暦の上では、季節は秋である。挨拶も「残暑お見舞い申し上げます」となる。
近所の曹洞宗のお寺に墓地を作り、檀家になっていたが、今年2月に父が死んで、本物の檀家になったかもしれない。住職以外に5人のお坊さんが集まって読経が響く本堂に、ワイフと二人神妙に参列した。檀家は時間制で次々に集まってくる。やがて名前を呼ばれて祭壇の横につく。お坊さんが焼香した後、我々が焼香した。いったん席に戻ったが、再び呼ばれた。今度は住職が焼香し、もう一度我々が焼香した。祭壇の上にはたくさんの位牌が並んでいるが、真新しい父の位牌もあった。新盆は特別待遇なのだろう。
奥の座敷へ移動して、精進料理をいただいた。かぼちゃやこんにゃく、竹の子、しいたけなどの煮物ともずく、それに香の物(きゅうりやたくあんの他にゴーヤもあった)。あとは、ご飯と味噌汁だ。味噌汁は赤だしではない。田舎味噌。おまけにアンパンがついていてワイフが喜んだ。
その後、寺の裏山にある墓地へ登り、父の墓に詣でた。毎週ワイフが手入れをしてくれるので、お墓はきれいである。セミの鳴き声が耳にとどろき、暑さが増す。
こんなのんびりした夏の過ごし方ができるのは、はたして何年後だろうか。
帰宅してから、執筆を続けた。
夕食の前にトレーニングに出かけた。5月22日以来だから、2ヵ月半ぶりだ。トレーナーの女性に叱られた。
結果は悪くない。肥満度−1.7%で、体脂肪率は18.7%。鈴木輝一郎さんに自慢したい数値だったが、トレーニング後少し気持ち悪くなった。
8月10日(水)「加藤さんの力作に脱帽・・・の風さん」
午前中、空が灰色で、何となく不気味だった。ときどき遠雷が聞こえ、ひと雨来そうな感じだった。しかし、何とかもちこたえ、午後からはまた強い日差しの夏の空が戻った。
こつこつ読み続けてきた加藤廣さんの『信長の棺』(日本経済新聞社)を読み終えた。
想像を絶する力作で、圧倒された。資料を丹念に読んで分析し、さらに想像力をふくらませ、格調高い文体できっちりまとめた作品は、歴史小説の王道を行くものである。わたしはこの時代のことにはあまり詳しくないが、好きな読者にはこたえられないのではないか。たまたま東秀紀さんの『異形の城』を読んでそれほど日数が経過していなかったので、合わせて楽しむことができた。本格歴史ミステリーというキャッチコピーもあるが、やはりこれは歴史小説だろう。
ひとつ勉強になったのは、作品の作り方で自分と非常によく似ている点があることに気付いたことと、それが読者の立場になったとき、はたして効果的かどうかということである。答えは残念ながら「ノー」だった。作者がこだわって大事に書いた部分が、必ずしも読者サービスになっていないことは、これからの自分の執筆姿勢に反映させなければならない。なかなか難しいことではあるが。
今日も20枚書き進んだ。なーんだ、やればできるんじゃん・・・といった甘い話ではないぞ。
8月11日(木)「とうとうゴールまで行ったぞ・・・の風さん」
夏休み6日目である。夏休み突入前までに何とか最後まで書き上げようと思っていたのができなかったので、連日、しゃかりきになって執筆している。それが6日目の今日、ようやくゴールに到達した。パチパチパチ・・・。
6日間で104枚書いた。書き進めながら、どんどん話が変わっていき、最後はちょっと意外性のある終わり方になった。意外性は小説には必要だが、あり得ないことを書いてしまった場合は、失敗作になるだけなので、よーく吟味する必要がある。
現在448枚。最終的には、編集長の予想で600枚ぐらいになるだろう。長く残る作品として完成させたい。もちろん年内出版が目標だ。
夕食前に筋トレに行った。今日の結果は、肥満度−2.3%で体脂肪率が17.3%。よしよし。今夜は飲めるな。
8月15日(月)「お盆休みの勉強会・・・の風さん」
昨夜まで原稿に加筆と推敲を加えていたが、なかなか大変な作業だ。しかし、全体像が見えている今はまだ楽で、これで会社が始まってしまうと、頭の中が会社モードに突入する。そうなると、執筆モードとの切り替えが困難になる。それでも、無理やりスイッチの切り替えを試みるのだが・・・。
今年の夏期休暇は珍しく帰省していないので、新鷹会の勉強会に出かけた。もちろん勉強会に出席するだけではもったいないので、国会図書館での資料調査をからめた。勉強会までの限られた時間内の行動なので、あらかじめ借り出す本と、ほしいコピーのページもだいたい決めてあった(さすが!)。
名古屋駅のホームに上がると、指定席をとっていない1本早いのぞみが出発間際で、車内をのぞくとガラガラである。この時期、こんなことがあるとは予想だにしていなかったが、自由席に座れたら乗る、ということは決めてあったので、躊躇せず飛び乗った。これで、計画に対して17分の自由度が増した(さすが)。
東京駅から有楽町まで戻り、有楽町線で永田町2番出口・・・とお決まりのコースを通り・・・順調、順調。以下省略してよかったのだが、思わぬところに落とし穴があった。借り出し最後の6冊目で、以前借りた本が出てこないのである。以前もそんなことがあったような気がする。それで、これかなと違うやつをやっとのことで借り出してみると、また違っているというわけで、とうとう予定時間を20分近くオーバーしてしまい、作業を中断せざるを得なかった。お盆休みでも、国会図書館の入館者はちっとも少なくない。日本人は勉強好きだな。
それにしても、今日の東京の暑さはハンパでなかった。とにかく蒸し暑い。なお、昼食は国会図書館のレストラン。ここはけっこう安い。いつも空いているので、すぐ食べられて便利だ。
勉強会はお盆ということもあり、いつもより5〜6名少なかった。今日は、伊東昌輝先生と野村敏雄先生がご欠席だったので、不肖、わたしめが、司会進行をつとめた。持ち込み原稿が二つあり、朗読してもらった。これらの原稿がなかったら、両先生はおられない、出席者は少ない、で冴えない勉強会になるところであった。感謝。
勉強会の間に雲行きがあやしくなり、遠くで雷の音がした・・・が、降り出してはこなかった。
恒例の2次会へ行ったが、日中の暑さでまいってしまった私は、イマイチ元気が出なかった。生中の小ジョッキ一杯と冷酒をおちょこで一杯。あとはつまみを食べていただけ。ご飯物を食べる元気もなかった。
2時間で2割引とかいうサービスを利用したので、2次会は時刻が来て終了した。疲れた私はさっさと失礼した。
ところが、さすが東京雨男。今宵の宿へ向かう途中から空がいっそうあやしくなり、チェックイン後は、部屋の窓の外が、ぴかりぴかりとよく光った。外を歩くのは剣呑だが、建物の中から平気だ。でも、くわばらくわばら。
11時には就寝してしまった。
8月16日(火)「もうお盆明け? やだー!・・・の風さん」
7時前に目が覚めた。部屋は寒い(冷房を入れっぱなしだから当然か)。
8時にホテルをチェックアウトし、そのまま東京駅へ直行。8時50分発ののぞみに乗った。
さすがにもうお盆休みが明けたサラリーマンも多く、背広にネクタイ姿が目立つ(あ、わたしもサラリーマンだった、がっくり)。
名古屋駅でのぞみから降りたら、暑い〜! さすが名古屋だ。万博会場も暑いだろうなあ。
地元の駅に降り立つと、ここもやはり暑い。ワイフは美容院に行っているので、迎えはない。とぼとぼと歩道を歩いていると、ゴキの死骸が4つ数えられた。日陰のアスファルト上にはアリンコだけでなく、変な虫が這っている。鬱蒼とした木々に囲まれた坂道に入ると、もう栗のイガが落ちている。ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・。まだ青く小さいやつだ。突然目の前をトカゲが尾をなびかせて横切った。こら、驚かすなよ。
11時半過ぎに自宅に帰ってきた。
これなら、すぐに執筆再開・・・と思うでしょ? ところが、どっこい、そうは問屋が卸さないのである。新鷹会の仕事で忘れていたことを、昼食後に開始した。「大衆文芸」のための原稿執筆依頼の確認葉書作成と、10月に予定している「塩原温泉勉強会のご案内」の郵送準備である。これらがけっこうくせもので、2台のパソコンを駆使して作業をするのだが、おっそろしく時間がかかった。しかし、冷房をがんがん効かせた書斎での仕事は、やはり天国だろう。
執筆は夜の部に回すことに・・・。
8月18日(木)「こんな大事なときに・・・の風さん」
書斎で使っているパソコン(これを執筆マシンと呼んでいるが)のバッテリが代引きで届いた。
バッテリの不調に気付いたのは5日前だったろうか。充電ランプが点滅しているのに気付き、モニターを立ち上げてみると容量がゼロになっている。それ以上のメッセージはない。リチウムイオン電池で、実は、この電池については私は多少知識がある。知識があっても壊れているなら、あるいは寿命になっているのなら、これは交換するしかない。2002年型のノートパソコンなのでもう寿命だとも、故障だとも何とも判断つきかねた。
そこで、ネットで故障診断の方法を探った。当然、バッテリの抜き差しとかはやった。決定的だったのは、セカンドバッテリ用のベイへバッテリを装着してみる方法だった。執筆マシンはフロッピードライブを外すと、そこがセカンドバッテリ用のベイになる。バッテリベイが同時に2箇所壊れるのは考えにくいからだ。結果は、全く同じ症状で、と言うより、もっと悪かった。セカンドベイでは、バッテリモニターでの情報が減っていた。一部認識できないのだ。
ま、バッテリが悪いことは間違いないので(寿命かどうかはイマイチ確信がもてないが)、発注することにした。なぜなら、この執筆の大事なときに、突然落雷などで停電でもあれば、原稿がパーになってしまう心配がある。それに、この執筆マシンを近いうちに捨てる気はない。
早速ネットであたってみると、既に在庫販売の段階に入っていた。メーカーでの定価はもちろん高く、他のネットショップもそれなりの価格だった。結局、正規契約していると思われる系列店で、いくらか安いのを発注したのだが、お盆休みで、対応が遅れることが心配だった。ページでもお盆休みだと明示していた。ところが、不思議なことにスムーズに注文から確認、さらに配達時間の指定まで送受信ができて、今日、無事に届いたのだった。
送料から代引き手数料まで含めて24140円である。
早速、バッテリを装着してみると・・・正常に動作した! やはりバッテリ異常だったのである。
8月25日(木)「台風11号接近中・・・の風さん」
台風11号が接近していたので、職場は定時で帰宅となった。実際はそのような危険はないのだが、決定したときはまだ警戒が必要な状況だった。
会社勤務が始まると、執筆モードが大きく乱れる。特に帰宅が遅くなるし帰ってからの疲労感で執筆どころでなくなる。私も若くはないのだ、残念ながら。
社屋から出るとき、騒々しいほどのスズメのさえずりが聞こえた。
まだ午後7時にはだいぶ時間があるのに、外は薄暗い。厚い雲が空を覆っている。
気温がそれほど高くないので、ミッシェルはトルクが出る。クルマというかエンジンはそういうものだ。暮れかかる夕闇の中を快調に飛ばして家路についた。
ラジオのニュースでは交通機関にだいぶ影響が出ているらしい。
家が間近になった頃、雨粒がミッシェルのウィンドシールドガラス(フロントのウィンドウのこと)に雫を散らした。
自宅に着いて、ミッシェルから降りた。ガレージから玄関前の短い時間に、空から爆音が響いてくる。欠航もあるが、セントレアから飛び立つ航空便はまだまだ多いのだ。
夕食まで、夕刊に目を通す。
屋外で虫の声が激しい。ガチャガチャのクツワムシらしい。
スズメもクツワムシも台風の接近を告げたくて鳴いているのか。
8月26日(金)「一流レストランとは・・・の風さん」
結局台風の被害はまるでなく時は過ぎた。
長女が名古屋の超一流ホテルのレストランでウェイトレスのバイトを始めている。まだ研修生の身分だそうだが、今夜、笑える話があった。お昼のランチバイキングで、オプションのステーキがあるという。1000円追加で170gのサーロインが食べられるということで、けっこうお得で人気も高いらしい。
初めての客が、よせばいいのに長女に尋ねた。
「サーロイン・ステーキ頼もうと思うのだけど、美味しいかな?」
長女はとっさに首を傾げて答えた。
「あのー、食べたことないんで分かりません」
「あはは。正直だね」
さぞかし腹の皮が痛かったろう。
ステーキはもとより、フルボトルのワインまで注文してくれたそうだ。
うちでも家族全員、大笑いだった。
「じゃ、どう答えたら良かったの?」
「仕事なんだから、お客様の評判はいいですよ、とか、お値段の割にお肉も大きいし、特製ソースがついています、とか言ったらどうだ」
と私。
「とっても美味しいですよって言うに決まってるじゃん」
と次女(次女は将来、私のような純粋な男を何人もだます女になるだろう)。
「そんなこと言えないよ。大きなお皿にうすっぺらなお肉です。見かけはちょっと堅そうですけど、うすくて噛み切りやすく、皆さん残さず食べています、というのはどう?」
「お前の名札は明日はもうないぞ」
8月28日(日)「新盆・・・の風さん」
まだまだ残暑が続いている。
今年2月に父が亡くなって新盆になるので、また親族が集まって、お寺でお経を上げてもらった。こういうことをきっかけにして親族が集まり、故人をしのぶのはもちろん供養になる。しかし、私はそれ以上に、親族の交流が大切だと思う。特に遠隔地に住んでいる場合はなおさらだ。お墓があって、そのお寺の檀家になっているから、今後とも親睦会の幹事のように、こういったことを主催していこうと思う。
ところで、ご先祖様を供養するお盆の時期だが、我々が誕生するためには、二十代前までさかのぼると、100万人のご先祖様になるらしい。その誰一人欠けていても、今の自分はいない。そう考えると、命は大切にしなければならない。命を大切にするということは、自分の人生を大切にすることであり、その人生を自分だけでなく他人のために使うことである。
しっかりお経を上げてもらった後、地元のお寿司屋さんで食事会をした。ひと仕事終えた気分の私は、マイクロバスの送迎付きを口実に、たっぷり飲んで食べた。・・・が、ちょっと暴飲暴食気味となって、かなり長時間胃腸が動きにくい状態だった。この飲食したものを消化している間に、自宅でビデオ鑑賞会をした。義弟の希望で、シルベスター・スタローンの『クリフハンガー』を選んだ。ストーリー展開を中心に分析しながら観たが、何度観ても面白い。現在執筆中の作品に反映しなくては(笑)。
集まってくれた親族への引き出物の中に、しっかり「大衆文芸」8月号を入れた。
8月29日(月)「とうとう頚椎症の痛みに耐えられない風さんの巻」
目覚ましで午前6時過ぎに目が覚めたが、首の痛みとめまいで起きられなかった。首の痛みは、執筆をがんがん進めるようになって筋力不足となって、ここ2〜3ヶ月ずっと続いているものである。めまいは、昨年と同様に会社いやいや病の一種で、ストレスのせいで布団から出られなくなるのである。
結論は簡単なので、とうとう起床を断念した(実際は出社を断念したのだが)。
10時過ぎにようやく起きて、これまで行きたくて行けなかった整形外科に行くことにした。
2年前に診てもらった病院で、頚椎症(けいついしょう)はもとより書痙(しょけい)もばれている。つまりカルテに記載されている。レントゲン写真を撮ったが、頚椎の異常は進展はしていなかった。しかし、筋力の低下がはっきり握力に出ていて、愕然とした。
2年前と同様に、鎮痛剤であるロキソニンをもらって帰った。
すぐに飲んだ薬が効いてくるまで時間がかかったが、夕方ぐらいから執筆もできた(途中で会社の仕事までしてしまったのは誤算だったが)。
今度の週末が第一稿の最後の頑張りで、来週始めに出版社へ届ける予定だ。打ち合わせはさらに次の週。
今夜、就寝前で、514枚の草稿になっている。
8月30日(火)「夏の異変・・・の風さん」
まだ8月だというのに、朝晩めっきり秋めいてきた。ぼやぼやしているとペナントレースが終わって、日本シリーズになってしまう。もっとも昨今の私はプロ野球にもほとんど縁がないけれど。
屋外は、日が落ちると虫の音で大合唱となる。
今年の夏の異変ともいうべきことがある。それはゴキの出現の少なさだ。
昨日も、台所の流しの下を開けたワイフが「キャーッ!」と叫んだのだが、黒いでっかいゴキは既にお陀仏していた。こういう恐ろしい奴は、例年、数匹にゅっと姿を現して、さんざん我々を恐怖のどん底に落とした挙句、ゴキジェットを用意する間もなく、隅っこに逃げ込んでしまう。そういった出現を見ないのだ。
その原因は、我が家の二匹目の飼い猫チーズ・カマ・ペコのお陰だろう。別名、ゴキ・ハンターとも呼んでいる。もう何匹も仕留めた実績があるし、夜中に家中を歩き回るを姿を見て、ワイフは「ペコ、パトロール中」と絶賛している。先日も、体が半分になったゴキがくたばっていたそうな。
台所の流しの下のゴキは、五体満足だった。しかし、くたばっていた。近くに洗剤があったので、それを浴びて窒息死した・・・筈はない。ゴキは自殺しない。
唯一推理できるのは、長男の部屋で発見され、長男にゴキジェットを浴びた後、ここまで逃げ延びて息絶えた、というもの。長男の部屋にはペコは入れないし、ときどき長男が無言でゴキジェットを持っていくらしい。
もう秋はすぐそこまでやってきている。このままゴキの顔を見ずに月日がたってほしい。ペコ、がんばれ!
05年9月はここ
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